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グスタフ・クリムトとユーゲントシュティール

ユーゲントシュティールは美術および文化史上、最も偉大な国際的な現象です。モダニズムが始まった当時、侵害され、無力になった時代に芸術を再生させるのがその目的でした。

オーストリア工房のデザイン © oesterreichische werkstaetten
アールヌーボー、モダン・スタイル、自由なスタイル、モダニスモ、セセッシオンなど、ユーゲントシュティールと関連したトレンドは国際的な現象でした。それらは、伝統的な19世紀の"創始者の時代"Grüderzeitのフォルムを拒絶する運動と理解されていました。それは新しく、新鮮で官能的な芸術が出現する時代でした。自然をお手本として厳密にそれを順守すると同時に、深く、隠された情緒的な状態を視覚的に表現できるようにすることを追求しました。生活のすべての側面を網羅するような芸術を目指し、建築とビジュアル・アートの芸術統合(Gesamtkunstwerk)を創造するために懸命に努力することでした。ヨーロッパの中で最も大きなメトロポリスであるウィーンが、ユーゲントシュティールを代表する重要な中心地でした。
近代的アプローチ
美術史おける世紀末最大の統一された様式運動による影響を、ウィーンのように現在も色濃く残している都市は、ほんの一握りしかありません。オットー・ワーグナー、ヨーゼフ・ホフマン、ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ、アドルフ・ロースらが設計した建物を、街のそこここで見ることがでます。シュタインホーフにある教会、郵便貯金会館、セセッシオン会館(分離派会館)などの建物はすべて、様式運動が目指した芸術統合の影響が見られます。
ユーゲントシュティールは、工業施設や高架鉄道システム、別荘、教会から、バーやコーヒーハウスのインテリア・デザインに至るまで、ありとあらゆる建築と芸術の形式を網羅しています。総合的な「生活スタイルの変革運動」として、日常生活のすべての側面に浸透し、高級芸術と低級芸術の境界、および、フリーアートと美術工芸の垣根を打ち破りました。このようにして、ユーゲントシュティールは新生モダニズムのための重要な推進力となったのです。

ウィーン分離派
分離派として知られていた芸術家組合の会長グスタフ・クリムトは、ユーゲントシュティール運動の正に中心を担っていました。普段は寡黙でしたが、彼はこの組織の演説者であり、精力的な主催者であり、将来を嘱望された才能を持った若き芸術家たちの後援者でした。
また、クリムトは誰もが認めるこの運動全体の象徴である、1907年から1908年にかけて制作された世界的に有名な「接吻」を含むユーゲントシュティール運動の重要な作品の創作者でした。際立って質の高い特徴をもったウィーンのユーゲントシュティールは、芸術的な伝統に深く根差していると同時に、他のヨーロッパの関連した運動のように、自身の制作にヨーロッパ以外の芸術の要素を果敢に取り入れていきました。クリムトにおいては、アジアの芸術に多大な影響を受け、また、ラヴェンナのモザイクの発見によって得た新たな刺激を、自分たちの芸術運動に取り入れていきました。彼の絵画では、色とフォルムと線の要素のそれぞれを、具象描写の物語から解き放ち、それ自体を象徴と抽象に発展させました。すなわち、グスタフ・クリムトの制作作品は、モダニズム抽象画の重要な先駆を代表するものです。


ウィーンにおけるユーゲントシュティールの実例:
シュタインホーフ教会 (サンクト・レオポルド教会)
14区、バウムガルトナー・ヘーエ 1、ウィーン
ガイド付きツアー: 土曜日の午後3時、日曜日の午後4時
見学:土曜日の午後4時から5時まで、日曜日の午後12時から午後4時ま

郵便貯金会館
1区、ゲオルク・コッホプラッツ、ウィーン
郵便貯金会館は、銀行の通常営業時間内に銀行利用者と観光客に開放されています。

セセッシオン会館(分離派会館)
1区、フリードリッヒシュトラーセ 12、ウィーン
開館時間:火曜日から日曜日の午前10時から午後6時