ホーフブルク王宮礼拝堂(ブルクカペレ)で、毎日曜日と宗教的祝日9時15分より、ウィーン少年合唱団や国立オペラ劇場合唱団・オーケストラのメンバーからなる「王宮付属聖歌隊」がミサに参列します。
第1次世界大戦 1914年6月28日、サラエボでオーストリア皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺されます。これは、第1次世界大戦勃発のひとつの引き金となりました。 ヨーロッパの列強は4年間にわたり敵対し合って無意味な戦いを続けましたが、戦局を決定したのはアメリカ合衆国の参戦でした。オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ帝国、その同盟国トルコ側が敗北して、それまでのヨーロッパの秩序は崩壊しました。
1848年の市民革命 フランスに端を発する市民革命の思想は、1848年の春オーストリアにも伝わりました。自由主義者たちは憲法制定と言論の自由を要求し、悪評高かったメッテルニヒの警察国家体制は一掃されて、メッテルニヒは覚悟を決めてイギリスに亡命します。 しかし10月には、革命は鎮圧され保守主義が全面的な勝利を収めました。皇帝フェルディナントの跡を継いだ若きフランツ・ヨーゼフ1世は、新絶対主義の体制を確立します。
権力確立 ハプスブルク家の支配は、はじめから安定していたわけではなく、しばしば反乱もおきています。早くからハプスブルク家の支配下にあったスイスでも反乱が起き、モアガルテンの戦いで敗北したハプスブルク家はスイスの領土を失いました。
西暦千年を前にした996年、アルプスに近いこの地域一帯をさす「オスタリッヒ」(=オーストリア)という名前が初めて文書に登場します。
オーストリアは今日では中部ヨーロッパに位置する小国にすぎませんが、その起源は長い歴史を遡ります。この地には先史時代から人が住み、多くの民族がこの地を通過していきました。ヨーロッパの中央に位置するために、ヨーロッパ大陸のあらゆる歴史と運命をともにしてきたのです。