2011年はグスタフ’マーラーの没後100周年に当たります。生誕150年の2010年に引き続きウィーンを中心にこの名高い天才作曲家・指揮者を記念して、数多くのマーラーのコンサートが繰り広げられています。
オーストリアの作曲家、指揮者グスタフ・マーラーは、1860年7月7日に当時ハプスブルク帝国の統治であったボヘミア地方のカリシュト村のユダヤ人家庭に生まれました。子供時代からたぐいまれなる音楽の才能を見せたマーラーは6歳のときから音楽教育を受け、15歳にしてウィーン音楽院に入学を許されました。そして、20歳の頃から指揮者として、また歌劇の芸術監督として活動し始めたのです。
1893年、1894年、1895年、1896年の夏には、弟や妹たち、そしてナタリー・バウアー・レッヒナー夫人と供に美しい
ザルツカンマーグート地方のアッターゼー湖畔シュタインバッハの村を訪れました。当時ハンブルク市立劇場の音楽監督を務めていたマーラーは都市の喧騒を離れ静かな環境で交響曲2・3番を作曲しました。ここでの宿泊は古い旅籠「ガストホーフ・ツーム・ヘレンゲビルゲ」(現フェッティンガーホテル)でした。現在、このホテルの前に立つ作曲小屋はマーラーの記念館として見学することができます。
1897年から1907年の10年間はウィーン宮廷歌劇場で活躍し、大指揮者として全盛期を迎えました。
その間、1903年には作曲家アルマとの結婚によりますます創作意欲を得て、オーストリア南部のヴェルターゼー湖畔のマイヤーニッヒに作曲小屋を作り、交響曲7・8・9番と大作を仕上げていきました。
1907年には長女が夭折したこともありオーストリアを離れニューヨークに渡米し、その後、晩年はアメリカで演奏活動をしました。