車が喘ぎながら狭い山道を上って行きます。広大なアルプスの牧草地や、誘うようにザーザーと流れ下る山の沢水を通り過ぎ、私の頂上ツアーのスタート地点、標高1240㍍のインネレ・キルヒサウへと向かいます。これから先は、3つの山上湖を経由して、標高2447㍍にあるキッツビュール・アルプスのシャーフジィーデル山の頂上まで行く、4時間の登りが待っています。山道を右に曲がると、オフィスからの電話が入りました。きっと、「この件と、あとエクセル・シートを見直してくれないか?」という連絡に違いありません。たった今、会社の人は、私がチロルで休暇中である事実を無視することにしたようです。間もなく、電話が鳴り止みました。私は終点の駐車場に到着しました。携帯電話の表示を見ると、受信圏外です。ああ、よかった! これで、私は先へ進める!
シダが群生した小路に沿って、濃い緑色の松の木が生い茂った森の中を抜けて行くと、さわさわと流れる小川が現れ、そこから立ち上る空気は、なんと爽やかに涼しいこと!とうとう、私は再び自由に呼吸することができます。すると突然、私のストレス…、時間に制約された命令や、所かまわずどこへでも連絡しなくてはいけないという強迫観念などは、すべて流れ去っていきました。私はこの山道で一人っきり。静寂を楽しみ、オレンジ色の豪華な文様の羽を、羽ばたかせて通り過ぎていく蝶の姿を愛で、泉から湧き出す水を飲み、茂みになった木の実を摘む。これらすべての行為が、再び自己の内面へとつながり、調和した自然との一体感を私に感じさせてくれました。
山の渓流はすべて、新しいバムベルガーの山小屋のそばで合流し、滝のように谷へと流れ下ります。私は休憩のために足を止め、ゴツゴツとした山々の頂上を眺めました。今回の私の頂上ハイクのための装備は、少し大げさだったようです…。手袋、帽子、ヘッドランプ…。しかし、気まぐれな山の天気のすべての状況に合わせられるようにと、一応準備して来たつもりです。背負って来たリックの重さを、少しでも軽くするために、私はサンドイッチを食べました。
キッツビュール・アルプスの樹木限界線を過ぎ、徐々に急峻になってきたトレイルで、黄色や薄紫色のアルプスの花々の海に出会いました。今まさに、咲き乱れる色とりどりの高山植物を見て、私は真っ盛りの夏を実感したのです。
1メートルつづ歩む毎に、新たな景色が広がります。私の左側には、ホーエ・タウエルン山脈のアルプス氷河が見えます。右側では、トカゲが素早く動き去るのに気付きました。トカゲの茶色と黒の模様を、私はチラッと目じりの角で捉えました。全体が見渡せる絶景と、絶え間なく現れる興味深い自然の事物一つ一つが私を魅了し、さらなる高みへと誘います。しかし、山のハイキングはまた、まるで拡大鏡で覗くように、自分の内面を見つめるようにもしてくれます。これが、内なる自己への旅です。この内観と休養は、新たな将来への信条と希望をもたらしてくれるに違いありません。
私はアルプスの風景に開いた、輝く青い目のように美しいウンテラー・ヴィルトアルムゼー湖に到着しました。岸辺ではまるでカリブ海で日光浴をするように、牛たちがのんびりと日向ぼっこをしています。さらに登ると、二番目の湖に到達したので、私は冷たい水に足を浸しました。足の疲れが取れて爽快でした。
その後に到着した三番目の湖では、ロマンチックな山の牧草地で草を食む羊の群れに出会いました。私は彼らに会うのを楽しみにしていましたが、やはり、シャーフジィーデル(「羊のいるところ」)の頂は、だてにそう呼ばれている訳ではありませんでした! トレールはさらに頂上へと続いています。強行を過度に要求されるわけではありまんが、それでも私のすべての力を奮い起こさなくてはまりません。そのことよりも、私は上空の暗い雲の方が心配です。たった今、雨粒が一つ落ちてきたかな? 頂上はもう目と鼻の先という所で、私は本当に引き返さなければいけないのでしょうか? 私は携帯電話を、引っ張り出しました。すると、ちょっと意外でしたが、受信圏内であることが分かりました。私は、お天気アプリで検索しました…。前線は通過する…。これは、いいニュースだ。私は会社から入った17件のメールは無視して、急いで携帯を入れてあった場所に戻しました!
私がハイキングで高く登れば登るほど、さらなる安らぎと静けさに気づきます。この山上で聞こえる物音は、羊の鳴き声だけです。この静けさと孤独には、浄化作用があります。一人でいるとそれを感じ、さらに先へと誘ってくれます。今回の私の頂上ハイクは、私の新たな物事に対する考え方…、もっとゆったりと、そして自己決定するやり方で、人生を歩んでいくことを熟考させてくれます。頂上の十字架まで、もうすぐです。私は深呼吸して、最後の区間のために力を蓄えて歩き出すと、突然頂上に到達しました。そこに立つと、自由の感覚と内なる平和が私を捕らえました。ホーエ・タウエルン山脈のいくつもの頂を見渡すと、その雄大な急斜面が姿を現しました。下の世界は、いかにも小さく、ほとんど取るに足らないもののように見えました。
頂上の登録簿に自分の名前を記入してから、私は十字架の下で立ち止まり、会社で仕事をしている同僚たちのことを考えました。いつか彼らもこの頂上に登るべきだ。ここでは、自分自身をコントロールし、新たな力を引き出し、来週の仕事のずっと先の計画までも立てられるだろう。頂上に登らなければ理解できないこの瞬間には、この世界で自分がどう人生と向き合うべきかを決定することができるのです。
“山に登れば人生の新しい視野が開けることがわかっているので、私は山頂まで登ることができるのです。”
Hubert von Goisern © Konrad Fersterer フーベルト・フォン・ゴイゼルン, シンガーソングライター