Please choose Language or Country
or

シシィ (1837 - 1898)

オーストリア・ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフの美貌の皇后エリザベートの愛称。 1898年、旅先のジュネーブでイタリアのアナキストに暗殺される。
1837年12月24日、エリザベートはバイエルンの貴族ヴィッテルスバッハ侯爵家のマキシミリアン公とルートヴィカの第三子として、ミュンヘンで生まれました。

1853年8月、バード・イッシュルのホテルでシシィの姉ヘレーネと若きオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフのお見合いが計画されていました。しかし、運命のいたずらか、23歳の若き皇帝は、天真爛漫で無邪気そのものの妹に一目惚れしてしまったのです。

1854年4月、歴代ハプスブルク家一族の結婚式を執り行う、厳粛なゴシック様式のアウグスティーナー教会で式が挙げられました。このとき、バイエルンの森を馬で駆け回っていた野生の少女は、5200万の民を治め、クロアチアやハンガリーの王など、47もの肩書きを持つハプスブルク家の当主、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の妃となったのです。

ところが、大皇妃ソフィは、奔放な性格を持ち合わせた嫁を好ましく思わず、シシィの立ち居振る舞いに目を走らせ、ことあるごとにハプスブルク家のしきたりを押し付けました。ウィーン流の宮廷生活になじめないシシィと大皇妃ソフィは、嫁と姑として次第に確執を深めていき、以後壮絶な葛藤は18年間にも及ぶことになります。

まもなく、相次いで子供が生まれましたが、三人の子供たちは生まれて間もなく大皇妃に取り上げられ、会えるのは一日に1時間以内で、しかも監視付きでした。愛する者を奪われた悲しみを癒すように、シシィは自分の美しさをひたすら愛するようになっていきます。優雅で誇り高く、19世紀末ヨーロッパきっての美貌の皇妃と噂されたエリザベートでしたが、傷心からか、以上なまでの気迫で美への執念をつのらせ、1日にオレンジ数個と牛乳だけという偏食ぶりでした。172センチの長身でしたが、コルセットで締め付けたウエストはわずか50センチという細さだったと言われています。

1898年9月、スイスのジュネーブ、レマン湖畔を散歩中にすれ違いざま、鋭利なキリのようなもので心臓を一突きにされ、滞在先のホテルで息を引き取りました。
 

画像版権

www.austria.info と www.austriatourism.com の二つのドメインの主要目的は旅行先としてのオーストリアの観光プロモーションです。