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ユーゲントシュティール、ウィーン世紀末

オーストリアのアールヌーヴォーはユーゲントシュティール(Jugendstil)と呼ばれています。「時代にはその芸術を。芸術には自由を」をモットーに、19世紀末のウィーンにグスタフ・クリムトやエゴン・シーレ、オットー・ワーグナーほか偉大な芸術家たちが登場しました。

アールヌーヴォー見学お薦めコース

  • オットー・ワーグナーのパビリオン © AHST--M. Sekine オットー・ワーグナーのパビリオン © AHST--M. Sekine
  • Gustav Klimt, The Kiss © Belvedere Wien Gustav Klimt, The Kiss © Belvedere Wien
  • Otto Wagner Church at Steinhof © Österreich Werbung /  Popp-Hackner Otto Wagner Church at Steinhof © Österreich Werbung / Popp-Hackner
  • Vienna Secession © Österreich Werbung / Hans Wiesenhofer Vienna Secession © Österreich Werbung / Hans Wiesenhofer
  • 郵便貯金局 © AHST--M. Sekine 郵便貯金局 © AHST--M. Sekine
  • Jugendstilarchitektur: Schmetterlingshaus im Wiener Burggarten © Wien Tourismus / Lois Lammerhuber Jugendstilarchitektur: Schmetterlingshaus im Wiener Burggarten © Wien Tourismus / Lois Lammerhuber
  • MAK: Museum für angewandte Kunst, Wien © Österreich Werbung / Trumler MAK: Museum für angewandte Kunst, Wien © Österreich Werbung / Trumler
  • Bugholzmöbel der Gebrüder Thonet, Hofmobiliendepot, Schloss Schönbrunn © Bundesmobilienverwaltung / Lois Lammerhuber Bugholzmöbel der Gebrüder Thonet, Hofmobiliendepot, Schloss Schönbrunn © Bundesmobilienverwaltung / Lois Lammerhuber
  • Details der Klimt-Villa in Hietzing © Österreich Werbung / Roxana Farca Details der Klimt-Villa in Hietzing © Österreich Werbung / Roxana Farca
  • エゴン・シーレ、レオポルド美術館 © Leopold Museum Wien エゴン・シーレ、レオポルド美術館 © Leopold Museum Wien
19世紀末のヨーロッパの芸術文化を指す”世紀末”、アール・ヌーヴォーという言葉は、今日広く一般に使われています。絵画・工芸の分野で、強く日本の浮世絵の影響を受けたこの激流は、ドイツ語圏ではユーゲントシュティールと呼ばれます。その一大中心地であったウィーンのユーゲントシュティールは、もとは1900年前後、風来の歴史主義に挑戦し、新時代にふさわしい建築と内装を目指した芸術家たちの運動をさすものでしたが、政治、経済、文化とあらゆる分野に数々の輝く恒星を抱くものでした。
ウィーンにおける1898年のセセッシオンの設立とともに、半世紀に渡って優勢を保ってきた歴史主義は、西ヨーロッパに登場してきたアール・ヌーヴォー(ユーゲントシュティール)により最終的に克服されました。
 

歴史的背景


産業革命が波及して近代社会が確立した19世紀は、経済的膨張の時代であるとともに、政治的葛藤と社会矛盾が激化する過程であり、これらがあいまって頂点を迎えたのが19世紀末でした。幾世紀にわたって神聖ローマ帝国皇帝として君臨してきたハプスブルク家の帝都ウィーンは、19世紀末には没落への歩みを早めながらも、ひとり光彩を放っていました。産業革命の進行とともに、経済的裏付けをもって新しい芸術文化を後援しうる資産家たちが登場し、彼らがユーゲントシュティールのパトロンとなりました。
 

ユーゲントシュティールの建築家と芸術家


ウィーンのユーゲントシュティールの重要な立役者として、建築の分野ではまずはオットー・ワーグナーの名を挙げなければなりません。ワーグナーはウィーンの生み出した最も重要な建築家であるばかりではなく、ヨーロッパの建築史上でも極めて重要なひとりです。ウィーンの街を歩けば、随所でワーグナーの作品に出会うほどです。ワーグナーも歴史主義からスタートし、19世紀の最後の10年間に独自の境地を切り開きました。代表する建築物としては、カールス広場の駅舎(ワーグナー・パビリオン)、リンケ・ウィーンツァイレ通りの豪華に飾った賃貸住宅用の建物、シュタインホーフ教会、郵便貯金会館、そしてシュタットバーンの駅舎です。次に挙げられるのはワーグナーの弟子、ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒです。彼はウィーンでの最もセンセーショナルな建築物、セセッシオン(分離派会館)を設計しました。
ウィーンのユーゲントシュティールの初期の段階は、世紀の変わり目の直後に終わります。ヨーゼフ・ホフマンがユーゲントシュティールの装飾文様から転向し、直角と厳密な黒と白とのコントラストを基調とする新しい純粋な様式を形づくります。これらの様式原理は、また手工業上の最大の要請に適う「ウィーン工房」の製品の中にも見られます。しかし本当の意味で過去との断絶を行ったのは、アドルフ・ロースが初めてで彼は現代建築術のパイオニアの地位を占めることになりました。

最も重要なユーゲントシュティールの画家は、芸術と流行を雙つながらにうち出したグスタフ・クリムトです。クリムトは、美術史博物館の階段の間の壁画やブルク劇場の天井画を手掛けていた頃は、まだ完全に伝統的な歴史主義の画家でした。セセッシオンを設立した当時、ようやく新しい方向がみいだされたところでした。ユーゲントシュティールを代表する画家として、美術史上にその地位をゆるぎないものとしてクリムト独自の世界を示す決定的な代一作は1902年のエミーリエ・フレーゲの肖像画でした。それ以来装飾的で妖艶な女性像の数々が生み出され、そのなかでも最も有名な美しい絵画が1908年の「接吻」です。クリムトは若き芸術家に援助を惜しみませんでした。こうして世に出たのがエゴン・シーレ、オスカー・ココシュカです。表現主義的アヴァンギャルドに属しながら、これらの芸術家の絵画やグラフィック作品には、目前に迫ったハプスブルク帝国の終えんと二重写しに、絶望的なこの世の終わりの雰囲気が感じとられます。もう一人の早世の画家が、リヒャルト・ゲルストルです。どの潮流にも属さず全く独自の画風をもっていたため、不遇のうちに世を去りました。
 

ウィーン工房


芸術は一部の限られた人々のものではなく、生活のすべてが芸術でなければならない、というのがセセッシオン運動の基本理念でした。その中で1903年に、建築家ヨーゼフ・ホフマンと、デザイナーの草分けともいうべきコロマン・モーザーが中心となってウィーン工房が設立されました。ワーグナーの弟子であった多才なホフマンは、多くの建築の他、家具、食器、アクセサリー、そしてユーゲントシュティール模様の布地をもデザインしました。美術学校に学んだモーザーは、ホフマンの親しい友人として互いに協力しあい、ウィーン工房の主力デザイナーとして多方面で活躍し、有名な「Ver sacrum(聖なる春)」をデザインしました。


ウィーンのアールヌヴォー 見学お薦めコース 詳しく
  • Otto Wagner Church at Steinhof © Österreich Werbung /  Popp-Hackner Otto Wagner Church at Steinhof © Österreich Werbung / Popp-Hackner

    austria 360:ワーグナー設計のシュタインホーフ教会

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