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「きよしこの夜」の作者、グルーバーとモール

「きよしこの夜」を作詞したモールと、作曲したグルーバーは、生きている間には、二人が共同で作ったクリスマスキャロルが世界中で有名になるとは、知ることはできませんでした。

ヨーゼフ・モール(1792-1848)

Mohr-Gruber-Denkmal in der Kirche in Oberndorf bei Salzburg / „ Stille Nacht“- Gedenken © Österreich Werbung / MarkowitschMohr-Gruber-Denkmal in der Kirche in Oberndorf bei Salzburg / „ Stille Nacht“- Gedenken © Österreich Werbung / Markowitsch

ヨーゼフ・モールは、司祭であり、一般の人々を助ける聖職者でした。モールは、1816年に「きよしこの夜」の歌詞を書き、やがてその言葉は、人々が絶望した時、その心に平和と希望を与えてくれるシンボルとなりました。この作詞の二年後、彼の友人であるフランツ・クサーバー・グルーバーが、歌詞に曲を付けました。そして、この歌はその誕生から200年間、世界中で平和のクリスマス・メッセージとして歌い継がれています。モールは、1792年、12月11日にザルツブルクで、未婚の両親の子として生まれました。当時として彼は、最初から不名誉な子供としてその人生をスタートした訳です。彼はとても貧しい境遇で育ち、少年の健康にとっては良くない、じめじめした環境の地区で育ちました。ザルツブルク大聖堂の大司教が若いモールの才能を見いだし、良い教育が受けられるように取り計らってくれました。それに加え、モール少年は大学の聖歌隊と、サンクト・ペーター・ベネディクト派修道院で、歌手とバイオリニストして活発に活動を始めました。哲学の研究を終えて、学校を卒業した19才の青年は、ザルツブルクにあるカトリックの神学校に入学し、1815年に司祭として叙任されました。

  • Joseph Mohr fountain in Mariapfarr © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner Joseph Mohr fountain in Mariapfarr © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner
  • Holy Night Chapel, Oberndorf © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Eva-Maria Repolusk / eva trifft Holy Night Chapel, Oberndorf © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Eva-Maria Repolusk / eva trifft
  • Silent Night Museum in the Arnsdorf Primary School © Stille Nacht Gesellschaft Silent Night Museum in the Arnsdorf Primary School © Stille Nacht Gesellschaft
  • Original Silent Night autograph by Franz X Gruber for organ and 2 violins, 1845 © Keltenmuseum Hallein / a Original Silent Night autograph by Franz X Gruber for organ and 2 violins, 1845 © Keltenmuseum Hallein / a
  • Wagrain's school © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner Wagrain's school © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner

この有名な歌詞は、いかに誕生したのか?

1815年、ヨーゼフ・モールは、父の故郷であるルンガウ地方のマリアプファールで、初めての役職である助任司祭の職に就きました。十二世紀に建てられたマリアプファール教会は、ザルツブルク州の有名な巡礼地で、中には「聖母と東方三博士礼拝の図」の絵画があります。研究者たちによれば、この絵がモールにクリスマスの6詩句「きよしこの夜」の着想を与えたのではないかと推測されているようです。

 

「きよしこの夜」は、1818年オーベルンドルフで初めて演奏されました。

ルンガウ地方の厳しい気候はモールには合わなかったようで、ザルツァッハ河畔にあるオーベルンドルフに転任されました。彼の新しい教区教会で、モールはオーベルンドルフの聖ニコラス教会でオルガニストをしていた、教師のフランツ・クサーバー・グルーバーと友達になりました。1818年のクリスマス・イヴに、ヨーゼフ・モールはグルーバーに彼の詩のためのメロディーの作曲を依頼しました。クリスマス・イヴのミサの後に、ヨーゼフ・モールのギター伴奏による「きよしこの夜」が教会の中の飼い葉桶の前で、初めて二人の友達によって歌われました。次の年に、モールはオーベルンドルフを去りましたが、グルーバーとの親密な友情は一生続きました。

雄弁で、社会問題に高い関心を持った、慣例にとらわれない人

1837年に司教代理として、最後の配属地となったワグラインに転任するまで、若き日の司祭ヨーゼフ・モールは何回も各所を移転しました。ワグラインでモールは、学校と老人ホームの建設を開始しました。そして、1848年12月4日、ヨーゼフ・モールは、肺不全のため亡くなりました。彼の遺産は彼のギターでしたが、それは後にフランツ・クサーバー・グルーバーの家族に受け継がれました。この楽器は「きよしこの夜博物館」に展示されています。

フランツ・クサーバー・グルーバー(1787-1863)

Portrait von Franz Xaver Gruber mit seiner Gitarre © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin GollacknerPortrait von Franz Xaver Gruber mit seiner Gitarre © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner

1818年12月24日、フランツ・クサーバー・グルーバーは、アルンスドルフにあった滞在場所で、「きよしこの夜」のメロディーを作曲しました。ヨーゼフ・モールが、彼の詩に曲をつける仕事を委託したのです。グルーバーはこのクリスマスソングの初めの頃の人気は自分の目で見ましたが、それが世界的に有名になるのを見とどけることになったのは彼の子孫でした。グルーバーは1787年11月25日に、貧しい境遇に生まれました。悲惨な経済状況の中、貧しい農夫一家は、家計を補うために家で亜麻布を織っていました。最初、グルーバーは織手の仕事も覚えなくてはなりませんでしたが、彼は小さな頃から何よりも音楽が好きでした。グルーバーの小学校の先生が彼の才能を見いだし、父親に内緒でオルガンを教えました。11歳の時に彼はとうとう最初の自分の楽器を手に入れ、1805年に教師になるための訓練を始めました。この頃のことは、ナポレオン戦争によって影が薄いですが、この時代はとても危険で苦難に満ちたものでした。それにも関わらず、グルーバーは1807年に小学校の教師の訓練を首尾よく完了し、彼が二十歳の時、教師、教会の管理人、オルガン奏者として、アルンスドルフで初めて就任しました。

  • House of Franz Xaver Gruber in Hallein © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner House of Franz Xaver Gruber in Hallein © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner

音楽に捧げた人生

グルーバーの最大の情熱は音楽だったので、彼はオーベルンドルフの聖ニコラス教会で、聖歌隊の指揮者とオルガン奏者としての役割も担いました。その一方で、彼の家族はいくつもの悲劇に見舞われました。グルーバーの血のつながった12人の子供たちの内、成人出来たのはわずか4人で、彼は二度結婚しましたが妻は2人とも若くして亡くなっています。そんなことからも、彼が音楽から安らぎと歓びを得ていたことに疑いの余地はありません。その音楽への情熱が、1817年にグルーバーと当初オーベルンドルフの助任司教だったヨーゼフ・モールとを引き合わせることになります。二人が友達となってから一年後に、モールがグルーバーに彼の詩に曲をつけてくれるように依頼しました。これが、「きよしこの夜」の誕生する瞬間です。1818年のクリスマス・イヴでの聖歌隊とギターのための編曲による、この歌の初めての合同演奏の後、フランツ・クサーバー・グルーバーは彼が「簡素な作曲」と呼ぶ、この歌のオルガンのための編曲も作曲しています。
 

ハラインのオルガン奏者

1835年、グルーバーはハラインの教区教会の聖歌隊の指揮者、歌手、オルガン奏者に任命されました。当時のハラインは、人口約35000人が暮らすザルツブルク州で二番目に大きな街でした。グルーバーは特に教会の聖歌隊の歌手と音楽家の訓練に重点を置いていました。また、二度目の結婚で得た息子たちと、音楽への情熱を分かち合いました。年長のフランツ・クサーバー(1826-1871)は、1847年に合唱団を設立し、1849年には、現存するハライン・リーダーターフェル合唱団を設立しました。弟のフェリックス(1840-1884年)は、父の役職を受け継ぎハラインの聖歌隊の指揮者となりました。フランツ・クサーバー・グルーバーは、比較的裕福な人として、1863年にハラインで76歳の生涯を閉じました。

「きよしこの夜」に関するイベント

  • マリアプファール

    2017年12月24日 / 5 p.m.: 教区ホールの中庭でオリジナルの詩で「きよしこの夜」を歌います。

  • オーベルンドルフ

    2017年12月24日 / 5 p.m.:「きよしこの夜」記念礼拝堂の前で伝統のミサ

  • マイヤーホーフェン

    2017年12月21日/ 6.30 p.m.から: ブラスバンドによる "クレプフェル" キャロル

  • シュタイヤー

    2017年12月2日からと2018年1月5日

    シュタイヤーローカル線 – グリューンブルク駅 | 待降節とクリスマス特別列車

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「きよしこの夜」の作者、グルーバーとモール

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