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「きよしこの夜」の成り立ちと時代現象

おそらく世界で最も有名な平和を願う歌は、戦争と自然災害と飢餓と貧困の時代に作られました。

このように有名になるとは思いもよらなかった歌が、200年もの間人々に受け継がれてきました。その道のりはまるで、サスペンスドラマのようです。「きよしこの夜」に何が起こったか、全てがわかります。
  • Silent Night score © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner Silent Night score © SalzburgerLand Tourismus GmbH / Kathrin Gollackner

平和を求めて

「きよしこの夜」は困難な時代に生まれました:フランス軍による占領、暴力的犯罪は19世紀初めのオーストリアでは日常生活の一部でした。オーストリアの人々は、経済状況でも政治状況においても、希望をもぎ取られていました。そして平和と希望と隣人愛への憧れは非常に大きいものでした。おそらく、このような劇的な状況の中、この新しい歌に惹きつけられたのでしょう。

知っていましたか?

  • ビング・クロスビーの1935年の「きよしこの夜」のレコードは一千万部売れたということは?
  • フューゲンにある郷土史博物館には940種類もの「きよしこの夜」のレコードが収められていることは?
  • 聖歌をニューヨークで1839年に最初に演奏したのは、チロル出身のライナー・ファミリーだったことは?
  • 宣教師が聖歌をアフリカとアジアに広めたことを?
  • グルーバーの生誕地で世界の人々の団結を象徴する、平和行進が行われるのを?

「きよしこの夜」を取り巻く歴史と出来事

1792年 ~ 1815年:オーストリアとバイエルンの人々は、ナポレオン戦争で20年以上の暴力と苦難に耐えていました。

1814年~1815年:ナポレオンが1814年に敗北した後、ウィーン議会で、ヨーロッパの新しい秩序を作り上げるなか、ザルツブルク州、チロル州、オーバーエステライヒ州にも影響が及ぼされました。

1815年:ナポレオンは、エルバ島から脱出し、百日間にわたって権力を握る。ベルギーのウォータールーの戦いは、最終的な敗北をもたらしました。

1816年:長年に渡り、バイエルンに支配された後、ザルツブルグはオーストリア帝国に属すことになりました。

1816年:ザルツブルク州のマリアプファールで、若い牧師助手のヨーゼフ・モールが6連の詩「きよしこの夜」を書きます。ドイツ語のタイトルは "Stille Nacht! Heilige Nacht! "

1818年12月24日:ヨーゼフ・モールがオーベルンドルフに赴任し、アルンスドルフの教師、フランツ・クサーバー・グルーバーと友人になりました。そしとこの日、モールは自分の詩に曲をつけるよう依頼します。その地では、人々はナポレオン戦争後の飢えと絶望に悩まされていました。グルーバーは一時的な作曲で、それほど重要性をもたない曲と思いつつ、2つの歌のパートとギター伴奏のためにニ長調のメロディーを作り、まさにその晩、モールとグルーバーはクリスマスイブのミサの最後に初めてこの歌を演奏したのです。
  • The Silent Night Chapel in Obendorf © TSG Tourismus Salzburg GmbH The Silent Night Chapel in Obendorf © TSG Tourismus Salzburg GmbH

“「きよしこの夜」は世界中の人々に歌われ、平和と団結を象徴するものとして、2011年オーストリアユネスコの無形文化遺産に登録されました。”

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www.austria.info と www.austriatourism.com の二つのドメインの主要目的は旅行先としてのオーストリアの観光プロモーションです。