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    フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (1928 - 2000)

    自由な発想を持つ画家、フンデルトヴァッサーは豊かな色彩と渦巻装飾をもつ独自の作風を開拓しました。絵画のほかにも、ウィーン市公団住宅「フンデルトヴァッサー・ハウス」などの建築デザインや商業デザインでもユニークな作品を残し、今も高い評価を得、そして活用されています。

    フンデルトヴァッサーは、1928年にウィーンで生まれ、2000年にこの世を去りました。本名はフリードリッヒ・シュトーヴァッサーですが、21歳のときにフンデルトヴァッサーと名乗るようになりました。日本とのつながりは意外と深く、1960年代には日本で木版画を制作しており、サインも漢字で「百水」と日本語に訳して使っていました。

    20歳のとき、ウィーン美術アカデミーで本格的に絵の勉強を始めましたが、学校には長く留まらず、イタリア、フランス、モロッコなどを旅しながら絵を描くのですが、その頃から彼の絵は赤や黄色、緑、青が多用されたカラフルな色使い、やがてどこまでも続く線や螺旋渦巻きが登場し、その曲線で家が描かれ、家の上に木が植えられ、水が流れ、雨が降り・・・、いつしかその主題は家と木と水に集約されていきました。彼の作品には、「家と人と自然の共存」という哲学が込められています。

    代表作のフンデルトヴァッサーハウスは、ウィーンの市営住宅で、一般の住人がここで生活しています。ウィーンの街の中心部には庭のない集合住宅ばかりです。そこで、庭がないなら屋根やベランダに草や木を植えればよい、という自由な発想で、緑に覆われた集合住宅が生まれました。

    この市営住宅をはじめ、彼の建物にはほとんど直線はありません。外壁、内部の壁、壁と天井の境目も、廊下もすべて曲線で構成されています。ウィーンから南へ約120km、車で2時間ほどにある巨大なリゾートホテル「ログナー・バード・ブルマウ」も、フンデルトヴァッサーが手がけたもので、1997年に完成しました。いくつかの大きな温泉プール、6種類のサウナ、エステルーム、800ベッドのホテルの建物は、なだらかな丘のようなフォルムでできています。窓の形も色もさまざま、壁の色もカラフルでまるでおとぎの国にあるような建物です。そして最大の特徴は、屋根にあたる部分がすべて草木で覆われていることです。散歩しているといつしか坂道になり、気づくと建物のてっぺんということもある、不思議なリゾートです。

    このほか、フンデルトヴァッサーが手がけた有名な建物は、グラーツ郊外にある古い「聖ベルンバッハ教会」。建物はもとのものを使っていますが、外装はもちろん、内部までが彼のカラーで仕上げられています。
    ウィーン市内には、ドナウ川のほとりに建つ「シュピッテラウゴミ焼却場」があります。街中にあって圧迫感がないのは、その優れたデザインによるものといえます。その熱で水を温め、ウィーンの25万世帯にお湯を供給しています。ちなみに彼は、大阪の舞州にあるゴミ焼却場もデザインしています。

    フンデルトヴァッサーは、商業アーティストとしての面でも、優れた才能を発揮させています。例えば、郵便切手のデザイン、車のナンバープレート、コイン、本の装丁などなど。建築をはじめ、さまざまな形に姿を変えた作品たちが、彼の死後、さらに評価されています。


    フンデルトヴァッサーと日本

    日本とのつながりも深く、フンデルトヴァッサーの作品は日本美術の影響が見られます。1960年代には日本で木版画を制作しており、サインも漢字で「百水」と日本語に訳して使用していました。

    フンデルトヴァッサーの作品、建築については

    こちら

    画家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(本名フリードリヒ・シュトーヴァッサー)は1928年12月15日にウィーンで生まれ、20歳のときウィーン美術アカデミーで本格的に絵を学びましたが学校には3ヶ月ほど留まっただけでした。21歳のとき、フンデルト(100の意味)ヴァッサー(水の意味)と名乗るようになります。

    1959年、画家アルヌルフ·ライナーとエルンスト·フックスと一緒に、"ピントラリウム"と呼ばれる芸術家のための新しいプログラムを提唱。シュタイヤマルク州にあるゼッカウ修道院にて、反体制文化の全盛期に絶大な人気を享受した文書 "オルディネス・マニフェスト"を始めて発表。彼の "ロースからの脱却"(1968)で、芸術における無機質さと硬い美学を非難し、より美しさと俗っぽさを求めました。
     

     作品、仕事

    旅に出始めたころから彼の絵にはカラフルな赤や黄色、緑、青が多用され、やがてどこまでも続く線や螺旋渦巻きが登場し、その曲線で家が描かれていきます。家の上には木が植えられ、水が流れ、雨が降り・・・、その主題は家と木と水に集約されていきました。彼の作品には、家と人と自然の共存という哲学がこめられています。

    彼の代表作「フンデルトヴァッサーハウス」はウィーン市の市営住宅で、現在も一般の市民が住んでいます。1977年、当時のウィーン市長レオポルト・グラッツはフンデルトヴァッサー「君の思い通りの家を建ててみないか」と提案し、プロジェクトはスタートしました。彼は、都会の真ん中に木々や土のある生活ができるようにと考えていましたが、ウィーンの街の中心部には庭のある一軒家などはほとんど見あたらず、集合住宅ばかりです。そこで、庭がないなら屋根やベランダに草や木を植えればよいと考え、自由な発想が開花します。絵を描き、模型を作り、建築家ペーター・ペリカンの協力を得て、緑に覆われたふんでるとフンデルトヴァッサーハウスを8年の歳月をかけて完成させました。

    フンデルトヴァッサーハウス
    Kegelgasse 34-38, A-1030 Wien


    フンデルトヴァッサーハウスのすぐ近くにクンストハウスがあります。フンデルトヴァッサーは湾曲木材家具トーネットの旧工場を、自分の美術館に作り変えました。ガラスやメタル、レンガ、木材、陶器タイルでできたカラフルで不規則な要素が、かつては目立たなかった建物をいまや特徴ある建物になっています。1991年にオープンした3階建ての建物にはフンデルトヴァッサーの作品常設展のほか、入れ替わりの展覧会場が2つ、地上階にはカフェ・レストランとショップがあります。

    クンストハウス・ウィーン
    Untere Weißgerberstraße 13
    A-1030 Wien
    www.kunsthauswien.com

    ウィーン、

    シュピッテラウゴミ焼却場は1989年フンデルトヴァッサーの外装デザインで改築されたものです。街中にあって圧迫感がないのは、優れたデザインによるものといえます。最新の設備でゴミを燃やし、その熱で水を温めて、ウィーンの26万世帯にお湯を供給しています。ちなみに彼は、大阪の舞州にあるゴミ焼却場もデザインしています。

    シュピッテラウゴミ焼却場
    Wien Energie Spittelau, Spittelauer Lände 45, A-1090 Wien
    アクセス:地下鉄U1,U4 Spittelau駅下車


    ウィーンから南へ約120kmほどにある巨大温泉リゾート「ログナー・バート・ブルマウ」はフンデルトヴァッサーにより1997年に完成したものです。230面平方メートルの敷地には800人を収容できるホテル、様々な温泉プール、6種類のサウナ、エステ、健康プログラムが用意されています。建物はなだらかな丘のようなフォルムでできていて、様々な形の窓、カラフルは壁を持ち、まるでおとぎの国にようです。そして最大の特徴は、屋根に当たる部分がすべて草や木で覆われていることです。散歩していると、気づくとそこは建物のてっぺんということもある、不思議なリゾートです。

    Rogner Bad Blumau
    A-8283 Bad Blumau 100
    www.blumau.com

    フンデルトヴァッサーは、また商業アーティストとしても面でも優れた才能を発揮させています。例えば、郵便切手のデザイン、旗や国旗のデザイン、車のナンバープレート、コイン、本の装丁などなど。建築をはじめ、様々な形に姿をかえた彼の作品は、彼の死後さらに評価されています。

    フンデルトヴァッサーの作品、建築についての詳しくは

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