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    音楽の殿堂 -ウィーン国立歌劇場

    1869年5月25日のこけら落しには、皇帝フランツ・ヨーゼフI世と皇妃エリザベートの臨席の下、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」が上演されました。第二次大戦で大きな被害を受けた後、1955年新しい観客席と最新の技術を備えたウィーン国立歌劇場にはベートーヴェンの「フィデリオ」で再オープンしました。それ以降、今日では世界で最も重要なオペラ座として名声を誇っています。

    今日のウィーン国立歌劇場

    今日ではウィーン国立歌劇場は特に世界で最大のレパートリーを誇る歌劇場として知られ、世界で最も重要なオペラハウスのひとつとしてその地位を確立しています。9月から6月までの上演期間に60以上の異なるオペラやバレエの作品から350回以上の公演が行われます。歌劇場の芸術的な柱としては、フルタイムの歌手アンサンブル(約60 人の独唱家)、ウィーン国立バレエ団(ウィーン国立歌劇場の80 人ほどのダンサーから成るウィーン国立バレエ団)、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の楽団員が選抜されるオーケストラ、コーラス、ステージオーケストラを擁しています。これに加えて国際的な招聘歌手、ダンサー、指揮者が参加します。
    ウィーン国立歌劇場には10~18 歳の少年少女に包括的な実践的および理論的な舞台舞踏教育を提供しているバレエ学校が属するほか、歌唱能力に恵まれる子供たちにオペラ業界でのデビューを可能にし、様々なオペラ上演で少年少女合唱団を派遣している子供向けオペラ学校も付属しています。
    現在、ウィーン国立歌劇場総裁はボグダン・ロスチッチが、音楽監督はフィリップ・ジョーダンが努めています。ウィーン国立バレエ団監督はマルティン・シュレプファー です。

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    LIVE@HOME

    公演期間中にウィーン国立歌劇場live at home(自宅でライブ)プログラムの一環として、高品質な映像と音でオペラの上演がネット上でライブ上演されます。プログラムはこちらをご覧ください。

     

    ライブビューイング

    「オペラ座前広場でのライブオペラ」では、9月、4月、5月、6月に各月別に20本ずつ選定されたオペラとバレエ上演がヘルベルト・フォン・カラヤン広場でライブで放映されます。さらに12月27日~1月1日すべての公演とウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートがライブでこの広場で上映され、「こうもり」は12月31日にウィーン市の「大晦日のの小路」での上演となります。
    現在は休止中
     

    ウィーン国立歌劇場 www.wiener-staatsoper.at/en/

    館内ガイドツアー

    ウィーン国立歌劇場は音響の上でも、建築学上からも卓越した建物です。歌劇場のガイドツアーは各国語で行われ、所要時間は約40分です。ツアーでは玄関ロビー、階段ホール、ティールーム、大理石の間、シュヴィント・ロビー、グスタフ・マーラーの部屋、観客席を見学しながら、国立歌劇場の歴史、オペラビジネスについて、また建築について説明を聞くことができます。

    申込みはオンラインか、30分前までに歌劇場のツアー入り口(オーパンガッセとオーパンリングの角)でチケットを購入してください。
    ツアーはドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語で行われており、日本語は現在ありません。スケジュールはこちらで確認できます。

    料金:大人 13ユーロ、65歳以上 9ユーロ、 子供・27才以下 7ユーロ

    予定が変更される場合もあります。詳しくは、ツァ –入り口の掲示板をご覧下さい。
    上記ガイドツアーについてのお問い合わせはオペラ座内のガイドツアー窓口 [Staatsoper Führungskassa] Tel +43 1 514 44 2421 へ。

    歴史

    ウィーンオペラの伝統は早期バロック時代まで遡り、特に宮廷では17世紀以来オペラが上演されていました。1857年12月に国王フランツ・ヨーゼフI世がウィーン旧市街周辺の都市境界壁と要塞を解体し、リング通りとして知られる芸術と政治のための新たな絢爛豪華な建造物と広い並木通りを新設する勅令を発したとき、宮廷劇場である演劇場と歌劇場ともリング通りに新たな場を見つけることになったのです。
    建造された新歌劇場はウィーンの建築家アウグスト・ズィカート・フォン・ズィカーズブルクが基本設計を行い、エドゥアルト・ヴァン・デル・ニュルが建物内部の装飾を担当しました。しかし他の重要な芸術家も協力しました。例えば、ラウンジのフレスコ画やロッギアにある著名な魔笛のフレスコ画サークルを制作したモーリッツ・フォン・シュヴィントを思い起こしてください。
    1869年5月25日、宮廷歌劇場は、皇帝夫妻フランツ・ヨーゼフとエリザベートの臨席の下、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」でこけら落しをしました。初期の演出家フランツ・フォン・ジンゲルシュテット、ヨハン・ヘアベック、フランツ・ヤウナー、ヴィルヘルム・ヤーンの下での芸術的絢爛とともにこのランドマークの人気も高まっていきました。歌劇場は、旧来の上演システムを根本から変革し、精緻さとアンサンブル精神を強化し、さらに重要な造形芸術家たち(とりわけアルフレッド・ロラー)を新しい舞台美学の形成のために採用したグスタフ・マーラー総監督(1897~1907年)の下で最初の絶頂期を迎えました。

    1938年から1945年間、歌劇場は暗黒の時期を迎え、国家社会主義によって歌劇場の多くのメンバーが迫害され、追放され、殺害され、また多くの作品が上演できなくなりました。
    第二次世界大戦中はリング通りに建つこの歌劇場は壊滅的な爆弾攻撃を受け大部分が焼失し、存続できるかが危ぶまれました。戦時中においても活気ある文化的生活を守り続けたウィーン市民はオーストリアの音楽的伝統の象徴が廃墟と灰に化したのを見て大きなショックを受けました。
    しかしオペラに対する情熱までは破壊されませんでした。
    1945年5月1日すでに「フォルクスオーパーの中の国立歌劇場」はモーツァルトのフィガロの結婚が絢爛豪華に上演されたのをきっかけに公演を開始し、1945年10月6日にはベートーベンのフィデリオが上演されて突貫工事で復元された劇場が再開しました。その後の十年間は上演場が二つに分かれて行われる間、本来の本館に当たる建物は多額の予算と努力によって再建されました。
    1945年5月24日には、すでに公立建造物担当国家事務次官のユリウス・ラープはウィーン国立歌劇場の再建を布告し、オーストリアの建築家エリヒ・ボルテンステルンとオットー・プロスィンガーに再建が委託されました。正面壁面、正面大階段、ティーサロン、およびシュヴィントフォイエのみ着弾を逃れていました。

    1955 年11月5日、新しい観客席と最新の技術を備えたウィーン国立歌劇場は、カール・ベーム監督の下でベートーヴェンの「フィデリオ」の上演によって輝かしく再開されました。開演セレモニーはオーストリア放送によってテレビ放映され、世界は新しく再建された第二の共和国の息吹として受け止めました。

    リング通りにあるウィーン国立歌劇場の歴史において、非常に重要な演出家たちがここで生まれました。また重要な作品はここで初公演されました。その中には例えばユーレス・マセンネッツの「ヴェルター」、リヒャルト・シュトラウスのウィーン版「ナクソス島のアリアドネ」、「影の無い女」、アルフレッド・シュニットケの「ゲズアルド」、そしてアリベルト・ライマンの「メデア」が挙げられます。著名な音楽監督としてはグスタフ・マーラーの他には、リヒャルト・シュトラウス、クレメンス・クラウス、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン(例えば原語でのオペラ上演を実現)、ロリン・マゼールが挙げられます。ヨアン・ホーレンダー総裁最後の二年間のうち最も重要な実績としては、とりわけ子供向けの歌劇学校設立(2001 年)、客席での字幕スーパーシステムの設置(2001 年)、ヘルベルト・フォン・カラヤン広場での上演のライブ放送のスタート「広場のライブオペラ」(2009年)が挙げられます。

    資料:ウィーン国立歌劇場より

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