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    ハプスブルク家の足跡を訪ねて

    ハプスブルク家ほどヨーロッパの運命を担った王朝はありません。何世紀にも渡りヨーロッパを支配してきた時代、ハプスブルク家は情熱的な建設者であると同時に、熱心な旅行者でもありました。その証は、オーストリア全土に残された皇帝たちの創り上げた多様性に富んだ構築物にもはっきりと表れています。オーストリアには帝国時代の城や宮殿が多く点在しています。オーストリア国内のハプスブルク家ゆかりの地を訪ねてください。

    オーストリア全土に点々と散りばめられた、640年にわたるハプスブルク家の足跡を訪ねる・・・、それは、栄光の証であったり、華やかな愛の印であったり、また伝統的な勇気の象徴であったりと、様々な表情で私たちにヨーロッパの歴史を、文化の変遷を、そして最高の名門であった一族の一人一人の人生のドラマを語りかけてくれる、ファンタジックでしかもドラマチックな旅といえます。ここでは、ハプスブルク家にまつわる各地の代表的な見どころをご紹介していきます。

    ウィーン


    オーストリアの首都であるウィーンは、ハプスブルク家の歴史のうえでも特別な地位を占めています。
    ルドルフ一世の皇帝選出以来、ハプスブルク家の主要な居城都市として、常に皇帝一族との深いかかわりあいを持ち続け、そのためウィーンには同家ゆかりのものが無数にあります。ホーフブルク王宮やシェーンブルン宮殿をはじめ、シュテファン大聖堂の地下やカプチィーナーグルフト、アウグスティーナー教会などに、多くのその歴史的な証が残されています。ウィーン少年合唱団、スペイン式宮廷馬術学校、帝室コレクションに始まる美術史博物館、ウィーン王宮宝物館、新王宮の武器や楽器の収集、アルベルティーナ美術館など、すべてがハプスブルク家の見事な遺産と言ってよいでしょう。そして、ウィーンでは宮殿ばかりではなく、数多く残る歴史的なコーヒーハウスに入っても、気高き帝国時代の雰囲気を感じ取ることができます。

    ホーフブルク王宮のシシィ博物館と皇帝の住居
    王宮のハプスブルク家の主要な居住区の皇帝の住居は、一般に公開され見学することができます。宮廷の日常生活において、特に興味を引く事柄を銀器コレクションで見ることができます。ハプスブルク家の贅を尽くした食事文化だけ見ても、5000人もの人々が暮らす宮廷の大世帯を養っていくのに、いかに巨額の出費が掛かっていたかがわかります。

    シシィ博物館では、皇妃エリザベートのプライベートライフを垣間見ることができます。更衣室兼運動ジムの他に、若い花嫁の婚礼前夜のパーティドレスのレプリカ、部屋着やパラソル、扇、手袋や、シシィのデスマスクも展示されています。また、旅行好きだった皇妃専用の豪華なサロン車両のレプリカも見ることができます。これらの品々すべてが、1888年、暗殺によって悲劇的に終わった皇后エリザベートの生涯を静かに物語る証しです。
    Hofburg Wien

    アウグスティーナー教会
    女帝マリア・テレジアとフランツ・シュテッファン・ロートリンゲン公が挙式を挙げた帝室教区教会である聖アウグスティーナー教会で、皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザベート、皇太子ルドルフとシュテファニー王女が、またフランスの皇帝ナポレオンとマリー・ルイーズも結婚式を執り行いました。印象的なのはアントニオ・カノーヴァ作の大公女マリー・クリスティーネの墓標(1798年~1805年)とゴシック様式の聖ゲオルク礼拝堂(ロレット礼拝堂への入り口で1337年建立)です。さらに心臓保存所にはハプスブルク家の54人の心臓が銀の壺に納められています。
    Augustinerkirche

    シェーンブルン宮殿
    かつての皇室の邸宅はヨーロッパでも最も美しいバロック様式の宮殿の一つに数えられています。ハプスブルク家の人々は一年のうち大部分を、宴会ホールのほか皇帝の大家族に必要な数えきれないほどの部屋を持つこの宮殿で過ごしました。今日では宮殿は歴史的重要性を持つ、ユニークな敷地と豪華な調度品のため、ユネスコの世界遺産に登録されています。精緻に配置された敷地や庭園は、休暇で訪れた旅行者だけなく、地元ウィーン子にとっても散歩に最適の場所です。庭園を進むと、やがて小高い丘に「グロリエッテ」と呼ばれるエレガントな建物に行き着きます。ここにあるカフェからは、素晴らしい街の眺望が堪能できます。また、敷地内にある世界最古の動物園で数時間過ごすのもいいかも知れません。庭内にある馬車博物館も歴史を語っています。
    Schloss Schönbrunn

    ラインツ動物公園とヘルメスヴィラ
    市の郊外、ウィーンの森に位置するこの場所は皇帝の狩猟場でした。現在でもイノシシは鹿が生息する自然公園で市民の憩いの場です。公園の奥にあるヘルメスヴィラは皇帝フランツ・ヨーゼフから妻エリザベートへの贈物でした。豪華な調度品がそろい、後期ロマン主義の建物です。今日はウィーン市博物館所属のミュージアムになっています。
    Hermesvilla

    皇帝納骨堂 (カイザーグルフト)
    カプチーナー教会の地下にある皇帝納骨堂はハプスブルク家の人々の永眠の場所です。ここには12人の皇帝、19人の皇妃を含む全部で146人の貴族が安置されています。マリア・テレジアと夫、皇帝フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲンI世の対になった壮大な棺は、バルタザール・フェルディナンド・モルス作で、まず目を引きます。その一方彼らの息子ヨーゼフ二世の棺はシンプルです。実質最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世も1916年以来ここに眠っています。皇妃エリザベートと皇太子フドルフの石棺もあり、カプチン修道士たちにより守られています。
    Kaisergruft

    ベルヴェデーレ宮殿
    上宮と下宮と広々として庭園からなるベルヴェデーレは18世紀に建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントによって建立されたオーストリアの将軍プリンツ・オイゲン公の宮殿です。ベルヴェデーレは世界で最も美しいバロック様式の建物の一つで、壮大な大理石の間、サラテレーナ、豪華な大階段を持つ上宮はオイゲン公の時代には宴会の宮殿として機能していました。今日は中世からバロック時代、さらには近代までの美術品が展示されている美術館です。下宮には華美なホール、大理石の間、金の間などがあり、オイゲン公の居住空間でした。絵画、古美術のコレクション、図書館があります。
    Schloss Belvedere



    ニーダーエステライヒ州


    シュロスホーフ

    ドナウ河の近くにあるシュロスホーフ(祝祭宮殿)は、壮大なテラスを持つバロック様式の美しい庭園が特徴です。テラスの非常に明るく活き活きとした雰囲気は、当時バロック・フェスティバルが開かれていた時のように、贅沢で素晴らしかったあの時代の生きる喜びを今日に伝えています。この豪勢な宮殿は、もともと1697年のゼンタの戦いでオスマントルコに勝利したサボワ家のオイゲン公に感謝の気持ちを示す「高価なご褒美」としてハプスブルク家が建てたものでした。オイゲン公は狩猟の館として利用していました。その後1755年にマリア・テレジアが相続し、夫のフランツに贈られました。今日でもオイゲン公の栄光のテラスでバロック祭りが行われています。

    Schloss Hof


    バーデン
    15世紀中頃、皇帝フリードリッヒ三世から都市権を与えられたローマ時代からの温泉保養地。1811年に中央広場に面して建てられた皇帝フランツ一世の夏の館の他、ハプスブルク家一族のゆかりの建物も多く、カール大公の城館、ワインブルク城、メッテルニッヒの邸宅の名残などがあります。ヨーゼフ二世、フランツ・ヨーゼフ一世の記念碑が建っています。
    Baden

    ラクセンブルク
    広大なシュロスパークにはいくつかの城があり、1858年にルドルフ皇太子は旧城(アルテス・シュロス)で生まれました。フランツェンブルク城は、オーストリアのロマネスク様式の代表作です。
    Schloss Laxenburg

    マイヤーリンク
    元は皇帝の狩りの館でしたが、皇太子ルドルフが1889年ここで悲劇の心中をとげた後、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世が修道院に捧げました。
    Karmel Mayrling

    オーバーエステライヒ州


    リンツ城
    リンツにゆかりの深い皇帝フリードリッヒ三世は15世紀にこの城に居住し、その息子の皇帝マクシミリアン一世もたびたびリンツ城に滞在しました。その後17世紀初め、皇帝ルドルフ二世がそれまでの中世の城を解体させ、ルネサンス様式で新しい城館が建設されました。マリア・テレジアの6番目の娘、マリア・エリザベートはここで生まれています。1800年の火災により南棟と教会塔が消失。その後の改築をへて、現在は州立博物館になっています。
    Linzer Schloss


    バード・イッシュル市博物館
    1853年皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザベートが婚約を祝った、当時のホテル・オーストリアは今日では市立博物館で、バード・イッシュルの、特に塩の生産地としての重要性、温泉療養地としての台頭、皇帝の夏の保養地としての市の発展が紹介されています。
    Stadtmuseum Bad Ischl 
     
    カイザーヴィラ(皇帝の別荘)
    フランツ・カール大公とバイエルンの王妃ゾフィの夫妻が、子供のいなかったハプスブルク家の人々にバード・イッシュルのスパで「湯治」をすることを勧めたことから、高貴な人たちが夏をこの地で過ごす習慣が始まりました。その後、王妃自身、湯治の甲斐あってか、子供を授かりました。その子供がのちの皇帝フランツ・ヨーゼフで、後に、大公妃ゾフィーからこの別荘を贈られ、妻のエリザベートと共に、バート・イッシュルで幾夏も過ごすようになりました。現在、カイザーヴィラはガイドツアーのみで一般に公開され、皇帝とその家族が味わった19世紀当時の雰囲気そのままを今日に伝えています。
    Kaiservilla Bad Ischl 
     バード・イッシュルでは毎年、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の誕生日(8月18日)の週には皇帝記念日が開催されます。
     

    チロル州


    インスブルック王宮

    ハプスブルク家の人々は、チロルでも長期滞在しました。それは休息やリクリエーションのためというよりも、政治的な目的からでした。皇帝マキシミリアンI世は、現在西ヨーロッパと呼ばれている地域まで自身の帝国を拡大する上で、地理的に好適な地盤として「アルプスの首都」と呼ばれるインスブルックを居住地に選びました。

    マクシミリアン一世は15世紀最後の騎士といわれた英明な神聖ローマ帝国の皇帝であり、広がる領土の中枢の余地としてインスブルックに王宮を造りました。現在、インスブルックのシンボルである「黄金の小屋根」は、1490年にマクシミリアン一世がミラノのビアンカ・マリア・スフォルツァとの結婚を機に建てた宮廷用桟敷のテラスです。王宮は、女帝マリア・テレジアが16世紀以来の宮殿をロココ調に改装したもので、華麗な大広間や天井画、タペストリーなどが見事です。
    Hofburg Innsbruck
     
    インスブルック宮廷教会
    フェルディナンドの曽祖父である、ハプスブルク皇帝マクシミリアン一世(1459~1519)は、芸術の上でも、政治の上でも、死後も自分自身を永続させるために、インスブルック宮廷教会に彼の石棺と、28体の大型ブロンズ像を周りに設置させました。マクシミリアンの先祖と子孫を表現するといわれるいわゆる「黒い男たち」と霊廟は、当時のもっともすぐれた画家、彫刻家、ブロンズ造形家たちによって制作され、チロルの最も重要なルネッサンス芸術とされています。また、必見なのは祭壇の上に華やかな銀のレリーフ、十字架のある円蓋、ルネッサンスの絵画で飾られた銀の礼拝堂です。
    Innsbrucker Hofkirche  
     
    アンブラス城
    インスブルックの町の南に聳えるアンブラス城には、フェルディナンド大公二世(1529~1595)が収集した素晴らしい絵画、武器、世界中の希少な品が常時展示されています。
    Schloss Ambras

    ハルの貨幣鋳造塔
    ハルはハプスブルク家の貨幣製造の都としての輝かしい歴史を物語っています。この町で初めて銀貨が鋳造されたのは1486年で、その後1567年に皇帝マクシミリアン二世は圧延鋳造機を作って初めてコインを作らせました。女帝マリア・テレジアの時代には有名なマリア・テレジア・コインを1700万枚も鋳造し、帝国中に流通させ、通貨として使用されました。コイン博物館を訪れると、貨幣の世界が詳しくわかり、500年にわたるヨーロッパの金融の歴史が学べます。例えば、世界で最初のターラーや、20kgもの世界最大の銀貨も展示されています。貨幣タワーからは中世の雰囲気をもつハルの旧市街と、遠くにはハプスブルク家の狩猟地であったカーヴェンデル山脈が見渡せます。
    Hall-Wattens 

    シュヴァーツ
    イン渓谷にあるシュヴァーツの銀山は、ハプスブルク家の大きな財源として「あらゆる鉱山の母」と呼ばれ、高山、教区教会、修道院聖堂、フッガー家の屋敷などがあります。既に16世紀から鉱山では8時間労働が採られ、カール五世もそのシステムを採用しました。
    Schwazer Silberwerkberg
     

    シュタイヤマルク州


    グラーツ宮(ブルク)
    グラーツは今日では前衛的な都市とみなされています。ハプスブルク家もその当時からグラーツの美しさを認めていました。従ってグラーツはハプスブルク家の居城都市となったのです。中央広場から古い街並みの急坂を登りつめると、15世紀に建てられたゴシック様式の大寺院とフェルディナント二世の霊廟マウソレウム、そして同じ頃に建てられたグラーツ宮(グラーツ・ブルク)があります。当時の最も重要な遺産であるグラーツ宮は、フリードリッヒ公五世、後の皇帝フリードリッヒ三世の居城として建てられ、皇帝マクシミリアン一世のときに拡張されました。この時代に作られた有名な二重らせん階段は、ヨーロッパでも最も重要なゴシック様式の階段の一つです。

    グラーツのヘルツォークスホーフ
    ヘレンガッセにあるヘルツォークスホーフでは、皇帝マキシミリアンI世はシュタイヤマルク州の元首としての仕事を執り行っていました。この建物の220平方メートルにも及ぶファサード全体が、バロックの画家ヨハン・マイヤーが描いたギリシャ・ローマの神話を題材にした壁画で飾られています。1450年にブルクが完成してからは、この建物は執政の場としては使われなくなりました。
    Graz Tourismus

    ヨハン大公とシュタイヤマルク
    マリア・テレジアの孫であるヨハン大公は「アルプス王」として民衆に親しまれました。シュタイヤマルク州の農業、鉱工業、林業の発展に力を入れ、学校や病院の開設を進めました。グラーツの中央広場にはヨハン大公の像が立っています。「ヨハン大公のヨーデル」の歌は日本でも知られています。

    ミュルツツーシュラーク
    での皇帝フランツ・ヨーゼフとシシィ
    1854年の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世とシシィの結婚後、この新婚カップルはセンメリング鉄道の開通祝いと、シュタイヤマルク地方で過ごす新婚旅行のためウィーンからミュルツツーシュラークまで旅行しました。ミュルツシュテークにある皇帝の狩猟館に滞在するために皇帝はよく列車を利用しました。狩猟用特別車両が導入され、快適な移動と狩猟を楽しむことができました。世界遺産センメリング鉄道の南路線鉄道博物館にはパイプ、パイプツール、葉巻カッター、ペン、吸い取り紙が入ったオリジナルの皇帝の旅行セットで見られます。また、帝国(K&K)の特別カフェ車両では、コーヒーとケーキ、またはトリエステル・ビールで一休みすることができます。
    Südbahnmuseum
    Semmeringbahn

    ブルゲンランド州


    ハルプトゥルン
    皇帝カール六世が18世紀の初めに、今日ブルゲンランド州で最も重要なバロック建築である狩猟兼居住宮殿として造らせました。設計には当時最も人気の高い建築家である、ルーカス・フォン・ヒルデブラントに当たらせました。ヒルデブラントはウィーンのベルヴェデーレ宮殿や多くの宮殿を手掛けていました。その後カール六世の娘、マリア・テレジアのものになりましたが、娘のマリー・クリスティーネ大公女がザクセン・テッシェンのアルベルト・カシミール公と結婚した折に、譲りました。その後の3世紀にわたる宮殿の歴史は、宮殿と庭園と厩舎を巡るガイドツァーによって辿ることができます。
    Schloss Halbturn
     
    エスターハージー宮殿
    中央ヨーロッパで最も美しいバロック様式の宮殿の一つで、エスターハージー候のかつての華やかな生活に触れることができます。宮殿の重要な場所は有名なハイドンホールで、今日に至っても世界の最高の音響を誇るコンサートホールです。他には豪華なダイニングルーム、鏡の間、中国風の小サロンが見どころです。宮殿内にはワイン博物館があります。
    Schloss Esterházy
     
     

    ケルンテン州


    クラーゲンフルトの州庁舎
    ケルンテン州におけるハプスブルク時代の最も重要な遺産で、1574年にケルンテン諸侯のための宮殿として、旧宮殿が火災で焼失した後に建立されました。現在、この優れた建築物はケルンテン州庁舎となっています。最も重要な見どころは、ケルンテン諸侯の665個の紋章と、ヨーゼフ・フェルディナント・フロミラー作の壁画と天井画がある大紋章ホールです。天井には皇帝カール六世の事跡が描かれています。皇帝カール六世の孫で、マリア・テレジアの娘であるマリア・アンナは、1789年に死没するまでこの地に住み、学問を奨励しました。彼女の墓はエリザベート修道院にあります。
    Klagenfurt Tourismus
     
    ホッホオスターヴィッツ城
    16世紀以来の山上にそびえる壮大堅固な城。中庭の銘板には城主であった「皇帝フェルディナント一世、マクシミリアン二世、ルドルフ二世の主席主馬頭ゲオルク・ケーフェンヒュラー」と記されています。一族にはマリア・テレジアの宮内大臣もいて、武器庫や博物館が見ものです。

    避暑地ミルシュタット
    ドナウ帝国の貴族たちによって発見された美しい避暑地、ミルシュタットにハプスブルク家と宮廷貴族たちは夏の別荘を建てました。19世紀後半に建てられた20軒の別荘は今も見ることができます。別荘地を歩くと黄色い壁と、緑の窓枠、感じの良い出窓、大胆な塔を持つ大きな家が続きます。世紀末に建てられたこれらの大きな家の中には現在、休暇を過ごすことができる施設になっているものもあります。
    ハプスブルク皇帝のフリードリッヒ3世、マクシミリアン一世が授与していた騎士聖ゲオルク勲章が、ミルシュタット修道院が持っていることもあり、ミルシュタットはハプスブルク家と関わりを持っていました。帝室のミルシュタットへの想いに対し、町の上流階級の人たちは伝統的に8月中旬の君主の誕生日を大きく祝っていました。今日でも毎年、皇帝の誕生日を祝うイベントを行い、皇帝万歳をしたい人には当時の衣装が貸出されます。
    Millstättersee-Tourismus



    ザルツブルク州


    ザルツブルク
    19世紀始めまで、ザルツブルクは大司教が君臨する独立国でした。それでもハプスブルク家にゆかりにあるものが多くあります。ヘルブルン宮殿は、その当時ルドルフ皇太子の所有で、庭を散策すると皇妃エリザベートの美しい象に出会えます。クレスハイム城には、皇帝フランツ・ヨーゼフの末弟が住んでいました。

    バードガスタイン
    ハプスブルク家の人々がしばしば訪れた温泉保養地。最初にここで湯治をしたのはフリードリッヒ三世でした。1865年にここで皇帝フランツ・ヨーゼフ一世とドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の間で「ガスタイン条約」が結ばれました。