オーストリア料理トップ5

食は、それぞれのアイデンティティを表現しています。家族や文化圏、そして国としての一体感を形づくる、大切な“帰属のしるし”でもあります。定番料理は、日本では寿司、イギリスではフィッシュ&チップス、アメリカではハンバーガーといった誰でもが思い浮かべる国民的な食べ物です。
そしてオーストリアといえば、やはりウィーナー・シュニッツェルがその象徴といえるでしょう。
ウィーナー・シュニッツェル
今日、オーストリアの定番レシピとされる料理の多くは、異文化間の対話がなければ日の目を見ることはなかったでしょう。オーストリア人は常に、様々な文化的影響を一つの皿にまとめる芸術においては、真の達人です。
例えば、有名なウィーナー・シュニッツェル。そのルーツは ウィーンではなく、ヴェネツィアです。イタリアのシェフたちは、16世紀にはすでに肉をパン粉で包んで揚げていましたし、それ以前にはコンスタンチノープルのユダヤ人が同じように料理をしていました。伝説によると、この形の肉のフライは1857年頃、オーストリアの野戦元帥ラデツキー伯爵によってオーストリアにもたらされました。オーストリアのシェフたちは、帝国時代後期にこのレシピを完成させ、今日のウィーナー・シュニッツェルを作り上げたのです。
マリレンクネーデル
名物料理は国や地域のランドマークです。料理には、その国の精神や異文化に対する寛容さがよく表れています。もともと中国の果物(アンズ)が、東南アジアの植物(砂糖)とボヘミアの調理法(団子)と組み合わされ、オーストリアの絵のように美しいヴァッハウ渓谷の文化的象徴となったのが、マリレンクノーデル(アンズ団子)です。
ザッハートルテ
チョコレートケーキ自体はウィーンで発明されたわけではありませんが、伝説的なザッハートルテはウィーンで生み出されました。賢いパン職人の見習いフランツ・ザッハーが1832年に初めて焼き上げたこのケーキは、何よりもその味とデザインが印象的でした。しかし、すべてのチョコレートケーキの中で最も有名になったザッハートルテの立役者は、彼の息子であるエドアルド・ザッハーでした。19世紀末までに、彼はザッハートルテをほぼすべての場所で有名にし、比類ないサクセスストーリーをスタートさせたのです。
フォアアールベルクのベルクケーゼ
オーストリア最西端の州、フォアアールベルクでは、スパイシーで香り高い特産品、ベルクケーゼ(山のチーズ)が作られています。チーズの発祥は中近東で、石器時代にはすでに牛乳の栄養価が明らかになっていました。レシピがオーストリア西部のアルプスで発展したのは、純粋に実用的な理由からでした。新鮮な牛乳が簡単に安く手に入り、硬いチーズは非常に日持ちがしたため、高地で人を寄せ付けないアルプス地方でも生き延びることができました。今日、多種多様なチーズが手に入るのは、アルプスの牧草地で見られる多種多様な草やハーブのおかげです。フォアアールベルク・チーズ街道では、さまざまな酪農家やチーズメーカーを訪ね、味わうことができます。