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    クリスマスキャロル「きよしこの夜」を訪ねて

    異なる国と文化を持ったすべての人々の心を捉える聖歌「きよしこの夜」は、オーストリアで生まれました。クリスマスに世界中で歌われる「きよしこの夜」は平和への深い考察と切望を表現した歌です。

    「きよしこの夜」の誕生

    天来の偶然が、二人の人物をザルツブルク近郊のオーベルンドルフで引き合わせました。その人物とは、聖ニコラウス教会のオルガン奏者であった教師のフランツ・クサーヴァ・グルーバーと、この教会で1817年から1819年まで司祭を務めたヨーゼフ・モールです。着任したばかりのモールは、この聖歌の歌詞の基を、1816年にすでに詩として書いて持っていました。司祭の着任一年後、教師のグルーバーがその詩のための感動的なメロディを作曲しました。そして1818年の12月24日の夜に、この聖歌が初演され、今や300の言語と方言に翻訳され、世界中の人々に愛されることとなるクリスマスキャロルが誕生したのです。

    当時、ナポレオン戦争により、ヨーロッパは徹底的に破壊され、国境線が引き直されました。この時期、オーベルンドルフも他国の支配下にありました。オーベルンドルフの人々は、何年もの間厳しい時代を過ごしていました。社会全体を取り巻くこの圧制の暗い空気に対して、モールとグルーバーはこのクリスマスキャロルによって少しでも人々に希望を与えたいと願ったのです。後の世界は、彼らの願いが叶ったことをよく知っています。

    メディアやデータ通信の技術がなかった時代に、このクリスマスキャロルが完成して間もなくオーストリアの国境を越えて伝わって行った事実は、この歌の秘めた力と共に、歌手でもあった当時の旅商人に因るところが大きかったのです。彼らはこのキャロルをドイツの見本市で歌い、プロイセン国王の王宮で披露し、1854年にはプロイセン宮廷の音楽監督がこのキャロルの楽譜を所望され、それにより作曲者のグルーバーはその創作の歴史を執筆し、その中で1818年のオーベルンドルフでのクリスマス・イヴの詳細な模様が事細かに描写されました。

    このクリスマスキャロルの歌詞が、音楽の翼に乗って遠くへ伝わったのも確かですが、この歌を聞いた者は誰でも、その誕生時の素晴らしい秘密の大いなる歓喜がそうさせた事が十分認識できるでしょう。

    原語で歌ってみよう!

    「アドベント(待降節)」はクリスマスの4週間前の日曜日から始まります。毎週日曜日にアドベントクランツの蝋燭に火を灯しながらクリスマスソングを歌い、クッキーを食べるのですが、そのときに「きよしこの夜」が歌われることはありません。「きよしこの夜」がようやく歌われるのは、アドベントの一連の行事でもっとも重要なクリスマス・イブのミサでのこと。教会に集った人全員で合唱します。また、ミサが終わって帰宅してからクリスマスプレゼントを開封するのですが、そのときも家族一緒にいろいろなクリスマスソングを歌ったあとで、最後に「きよしこの夜」を歌います。 

    単なるクリスマスソングを超え、オーストリア人のクリスマス精神の支柱となっている「きよしこの夜」。今年のクリスマスにはドイツ語の原語で歌い、その響きを味わってみてはいかがでしょうか。 

    ドイツ語歌詞

    聖歌の作者たち

    フランツ・クサーバー・グルーバーとヨーゼフ・モール:作曲者と作詞者

    Portrait of Franz Xaver Gruber with his guitar
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    フランツ・クサーバー・グルーバー(1787-1863)

    1818年12月24日、フランツ・クサーバー・グルーバーは、アルンスドルフにあった滞在場所で、「きよしこの夜」のメロディーを作曲しました。ヨーゼフ・モールが、彼の詩に曲をつける仕事を委託したのです。グルーバーはこのクリスマスソングの初めの頃の人気は自分の目で見ましたが、それが世界的に有名になるのを見とどけることになったのは彼の子孫でした。グルーバーは1787年11月25日に、貧しい境遇に生まれました。悲惨な経済状況の中、貧しい農夫一家は、家計を補うために家で亜麻布を織っていました。最初、グルーバーは織手の仕事も覚えなくてはなりませんでしたが、彼は小さな頃から何よりも音楽が好きでした。グルーバーの小学校の先生が彼の才能を見いだし、父親に内緒でオルガンを教えました。11歳の時に彼はとうとう最初の自分の楽器を手に入れ、1805年に教師になるための訓練を始めました。この頃のことは、ナポレオン戦争によって影が薄いですが、この時代はとても危険で苦難に満ちたものでした。それにも関わらず、グルーバーは1807年に小学校の教師の訓練を首尾よく完了し、彼が二十歳の時、教師、教会の管理人、オルガン奏者として、アルンスドルフで初めて就任しました。

    Monument of Mohr and GruberChurch of Oberndorf
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    ヨーゼフ・モール(1792-1848)

    ヨーゼフ・モールは、司祭であり、一般の人々を助ける聖職者でした。モールは、1816年に「きよしこの夜」の歌詞を書き、やがてその言葉は、人々が絶望した時、その心に平和と希望を与えてくれるシンボルとなりました。この作詞の二年後、彼の友人であるフランツ・クサーバー・グルーバーが、歌詞に曲を付けました。そして、この歌はその誕生から200年間、世界中で平和のクリスマス・メッセージとして歌い継がれています。モールは、1792年、12月11日にザルツブルクで、未婚の両親の子として生まれました。当時として彼は、最初から不名誉な子供としてその人生をスタートした訳です。彼はとても貧しい境遇で育ち、少年の健康にとっては良くない、じめじめした環境の地区で育ちました。ザルツブルク大聖堂の大司教が若いモールの才能を見いだし、良い教育が受けられるように取り計らってくれました。それに加え、モール少年は大学の聖歌隊と、サンクト・ペーター・ベネディクト派修道院で、歌手とバイオリニストして活発に活動を始めました。哲学の研究を終えて、学校を卒業した19才の青年は、ザルツブルクにあるカトリックの神学校に入学し、1815年に司祭として叙任されました。

    Silent Night Chapel
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    「きよしこの夜」誕生の地、オーベルンドルフ

    ザルツブルク市から北に30分ほど行ったところに、オーベルンドルフという小さな村があります。この村はずれの緩やかな丘に、現在小さな「きよしこの夜」礼拝堂が建っています。ここは、1818年、聖ニコラス教会でクリスマスキャロル「きよしこの夜」が初めて歌われた歴史的な場所です。曲がどのように生まれたのかは、作曲者フランツ・クサーバー・グルーバー自身が手紙に記録しています。

    オーべルンドルフを訪れる人は、この場所の重要性をすぐに感じることができます。 きよしこの夜ミュージアムと、きよしこの夜礼拝堂がある「きよしこの夜」地区では、世界的に有名なクリスマスキャロルに関わる画期的なストーリーを知ることができます。現在礼拝堂が建っているところに、1798年に聖ニコラス教会が建てられましたが、その後は度重なる洪水の被害により閉鎖を余儀なくされました。 1897年と1899年の2回の壊滅的な洪水で、教会は修復不能なまでに損傷し、1906年には取り壊されることになったのです。1930年から1936年の間に、今日のきよしこの夜礼拝堂が建てられました。聖ニコラス教会の元の家具は保存され、礼拝堂に組み込まれました。

    The Strasser family's music sheet
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    世界に広がっていった聖歌

    オーベルンドルフで181​​8年のクリスマスイヴに「きよしこの夜」が最初に演奏された時、人々の最初の反応がどうであったかはわかりませんが、もし、オルガンが壊れていなくてオルガンで演奏されていたら、その曲は忘れ去られたかもしれません。 チロル人のオルガン職人、カール・マウラッハーはオーベルンドルフの教会で楽器の修理を依頼され、村を訪問中にこの聖歌を知りました。彼は故郷のツィラータールのフューゲン(Fügen)に楽譜を一緒に持ち帰り、演奏したところ、その歌はチロルの人々の心を捉えたのです。メディアやデータ通信の技術がなかった時代に、「きよしこの夜」がツィラータールから世界の他の国々へと急速に広がっていたことは驚くべきことです。チロルには、しばしば行商中に音楽会を行う旅商人が多く住んでいました。その中でも、フューゲンのライナー家とライマッハのシュトラッサー家が1820年代においては、旅歌手グループとして有名でした。

    Room at the Silent Night Museum

    きよしこの夜

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    ゆかりの地:

     

    「きよしこの夜」博物館
    オーベンドルフは、「きよしこの夜」と暮らしの博物館の故郷です。当博物館では、主に「きよしこの夜」の発展と普及にスポットを当てています。
    開館時間:毎日9.00~16.00。降臨節中は、9.00~18.00。2月は休館。

    www.stillenacht-oberndorf.at

    「きよしこの夜」ゆかりの地
    「きよしこの夜」ゆかりの地はアルンスドルフ、ハライン、マリアプファール、オーベルンドルフ、ザルツブルク、ヴァグクライン、フューゲンなどザルツブルク州、チロル州、オーバーエステライヒ州に渡っています。知っておきたい様々な興味深い事柄についてはこちら。
    www.stillenachtland.at

    ハラインのケルト博物館
    「広く知られた‘きよしこの夜’が作曲された本当の理由」と題された書物は、ハラインにあるケルト博物館の「きよしこの夜」公文書館に保管されてあり、フランツ・クサーヴァ・グルーバー自身が書いた証言書です。本書には、1818年、オーベルンドルフのクリスマス・イヴについて、真の事実だけが書かれています。
    www.keltenmuseum.at

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