時代を駆け抜けた皇妃エリザベート
シシィの愛称で知られる皇妃エリザベートは、オーストリアで最も美しく、反抗的で悲劇的な皇妃でした。今も人々に愛され続けるエリザベートは様々な顔を持つ魅力的な女性でした。
ハプスブルク家にとって、ドナウ川は非常に重要な意味を持っていました。ドナウ川は人の往来と輸送の主要ルートであり、帝国内の多民族と文化を繋いでいました。帝国はウィーンのホーフブルク王宮から統治され、ドナウ川によって支えられていたのです。
歴史家のマーティン・ムッチュレヒナー博士は、ホーフブルク王宮の裏の方にある噴水の堂々とした大理石の像を指差し、あの「長い顎髭を生やした大男」は、と説明をします。「この像はドナウ川を表し、ラテン語ではダヌビウスと呼ばれています。その隣の女性像は、ヴィンドボナ、つまりウィーンです。彼女の肩に置かれた男の手が見えますか?これはドナウ川とウィーンの強い結びつきを象徴しています。」
「しかし、ダヌビウスはなぜ厳しい表情をしているのでしょう?それは、川が常に穏やかとは限らなかったからです」と歴史博士は続けます。「定期的に洪水や凍結が起こり、常に渦流が発生していました。ドナウ川は、ハプスブルク帝国において最も重要な交通路として長年利用されてきましたが、それは危険を伴うものでした。小さな像はザルツァッハ川、トラウン川やその他の川を表しています。イン川はありません。ドラウ川もです。これらの川は帝国の端っこを流れていたからです。」
ハプスブルク帝国とウィーンにとって、ドナウ川がいかに大切かが分かります。
ホーフブルク王宮の名は、かつてハプスブルク家で最も重要な不動産が城塞(ブルク)であったことに由来します。防衛施設から居城となったのは、17世紀以降のことでした。以降、ハプスブルク家の代々の皇帝が建て替えや増築を行い、18の翼、54の階段、19の中庭を備えた巨大な宮殿になりました。
広大なホーフブルク王宮の中で一般公開されているのはごく一部ですが、中でも目玉は「シシィ博物館(Sissi Museum)」と「皇帝の住居(Kaiserappartements)」です。
皇帝夫妻の公的空間では、すべてが金色に光り輝き、シャンデリアのクリスタル、金色の天井、窓と鏡が反射し、床もピカピカに磨きこまれています。それに比べて私的空間はぐっと控えめです。頬髭をたくわえた皇帝フランツ=ヨーゼフ1世は、人口5千万人を擁し13の国で構成される帝国を質素な書物机から統治し、夜は簡素な鉄製のベッドで眠りました。ダイエットに執心していた皇妃エリザベートは、体操ができるよう吊り輪をドアフレームに吊るしました。また、化粧鏡が最も重要な家具でした。「シシィ博物館」と「皇帝の住居」では、あたかも5分前に皇帝夫妻がドアから出て行ったかのように、すべてが当時の雰囲気のままに残されています。
シシィの愛称で知られる皇妃エリザベートは、オーストリアで最も美しく、反抗的で悲劇的な皇妃でした。今も人々に愛され続けるエリザベートは様々な顔を持つ魅力的な女性でした。
ウィーンはオーストリアの首都であり、古くよりヨーロッパの東西と南北を結ぶ十字路として、ウィーンの森に囲まれ二千年の歴史を育んできた文化と商業の都です。ウィーンには伝統の魂が息づいています。しかし、軽快なワルツの調べと共に、新旧のアヴァンギャルデがインスピレーションをもたらしてくれます。豪華な建築群と愛らしい側面が融合する街 - それがウィーンの魅力です。