モーツァルトをもっと身近に... 音楽の天才とその人間像
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、世界の著名な作曲家の中でも最も重要な人物の一人です。その優れた才能の裏に隠された人間像を知るために、毎年たくさんの人々がウィーンとザルツブルクを訪れます。
天才音楽家モーツァルト。没後二百数十年経った今でも、彼の曲は私たちの日常に寄り添ってくれています。ウィーンには、モーツァルトが暮らしていたアパートが残っており、その人柄や生活に触れられる博物館「モーツァルトハウス・ヴィエナ」として世界中の音楽ファンが訪れる観光名所となっています。
旧市街のシュテファン大聖堂のすぐ近く、石畳の裏道に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの人生において最も重要な場所のひとつとなった歴史的なアパートが建っています。1784年から1787年まで、モーツァルトとその家族はこのアパートで暮らし、その間に最高傑作の数々を生み出しました。モーツァルトはウィーンでの10年間に13回引っ越しをしており、ドームガッセ5番地の建物は、ウィーンの13の住居の中で唯一残っているものです。
177㎡のアパートは、4つの大きな部屋と2つの小さな部屋、そしてキッチンで構成されており、モーツァルトが住んだアパートの中で最も大きく、最も優雅で、最も高価なものでした。一部の部屋には、オリジナルのスタッコ天井や壁画があり、モーツァルトの時代にこのアパートがどのように装飾されていたかが描かれています。モーツァルトとその家族の足跡をたどり、作曲家の人生と時代を包括的に探索してみてください。
博物館の3つのフロアは、偉大な作曲家がウィーンで過ごした時代に焦点をあてています。18世紀の社会における彼の生活、演奏した場所、そして当時のファッション、文学、科学について学ぶことができます。そして、彼の友人や敵、フリーメイソンへの所属、女遊び、ギャンブル、大金を浪費する癖など、あまり知られていない彼の社会生活について深く洞察し、話を聞くことができます。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、35歳までしか生きられなかったにもかかわらず、626曲もの作品を作曲しています。その絶頂期を迎えていたのが、このモーツァルトの部屋です。世界的に有名なオペラ『フィガロの結婚』や、6曲あるハイドン四重奏曲のうち3曲を書いたのも、この場所だったのです。
館内の見どころは、1790年頃に作られた壮大な音楽時計で 、モーツァルトがこの時計のために作曲したとされる「小オルガンのシリンダーのためのアンダンテ」(KV616)の変奏曲を演奏しています。また、革新的なキュレーションが施された館内では、ホログラフィックによる「魔笛」の演奏や、メディアインスタレーションによる「フィガロ・パラレロ」で、世界の主要オペラハウスのフィガロ作品や演出家の異なるアプローチを概観することができます。また、モーツァルトの『レクイエム』とここウィーンでの生涯の終わりも、この博物館の充実した展示の中で扱われています。
モーツァルトハウス・ヴィエナと、徒歩10分ほどの距離にあるハウス・デア・ムジーク(音楽の家)のセットチケットがあります。このチケットで、両方の美術館に割引料金で入場することができます。
モーツァルトハウス・ヴィエナでは見学コースが定められており、3階「モーツァルトのウィーン」→2階「モーツァルトの音楽」→1階「モーツァルトのアパート」の順に観覧します。最初にモーツァルトを取り巻いていたウィーンの社会環境を知り、次にその音楽キャリアを構成した要素を知り、最後に一家の生活そのものにズームインしていく構成になっています。入場料に含まれるオーディオガイド(日本語あり)を聞きながら、まずは3階に向かいましょう。
※本記事では、地階を0階とするヨーロッパ方式で階数を記載します。+1階で、日本方式の階数になります。
1780年代初頭のウィーンは、高度経済成長期に当たり、人口50万人の大都市へと発展を遂げている最中でした。モーツァルトが活躍した当時は、まさにウィーンの音楽界も賑わいをみせていた時代であり、音楽家のキャリアを花開かせるには絶好の都市でした。
この頃、モーツァルトは上流階級相手に音楽を教えたり、演奏したりして生計を立てていました。このフロアには、当時のウィーンの街並みを描いた絵や、モーツァルトと交流のあった上流階級の令嬢たちの肖像画、演奏会の様子を描いた絵などが展示されています。
3階には、モーツァルトが28歳の時に入会したといわれる秘密結社「フリーメイソン」のコーナーもあり、好奇心をひときわ掻き立てます。モーツァルト最後のオペラ『魔笛』にフリーメイソンのシンボルが散りばめられていることを示す内容や、フリーメイソンの会合で『魔笛』の脚本家であり初代パパゲーノ役を演じたエマニュエル・シカネーダーとモーツァルトが談笑している絵画、フリーメイソンの装束などを見ることができます。
また、このコーナーの床は、会合が開かれる“ロッジ”と同じ白黒の市松模様になっています。
モーツァルトはウィーンで過ごした10年間の間に、13ヶ所の家を転々としました。モーツァルトハウス・ヴィエナでは2年半を過ごしていますが、13ヶ所のうち数ヶ所は1年に満たず引っ越していたという計算になります。
当時、フリーランスの音楽家だったモーツァルトの収入は増減が激しく、収入が上がると高い家に引っ越し、収入が減ると安いところへ引っ越すという行動を繰り返していたといわれています。また、作曲に伴うご近所との騒音トラブルも、頻繁な引っ越しの原因の一つに挙げられます。
モーツァルトは35歳で亡くなるまでに、600曲もの音楽を創作したといわれています。2階では、モーツァルトが活動していた時代と同時期の音楽家たちの肖像画や、代表作の楽譜のレプリカ、その当時使用されていた楽器、楽曲初演の劇場の見取り図や初演のポスターなどが展示されています。
この他にも、オペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』を共作したロレンツォ・ダ・ポンテとの逸話など、数多くの展示物があるフロアです。
また、遺作『レクイエム』とモーツァルトの死因についてのコーナーもあります。死因については諸説あり、リウマチ熱か感染症が有力視されていますが、その治療として行われていた、血液を抜き取って体外に出す「瀉血(しゃけつ)」が死期を早めたのではないかと考えられています。ここでは、同時代の瀉血器を見ることができます。
モーツァルトハウス・ヴィエナの建物には、築250年の歴史を感じさせる場所が随所にあります。そのうちの一つが、2階の部屋の一部分。現在の壁は白一色に統一されていますが、その奥には40回以上も壁を塗り重ねた形跡があり、ここでは19世紀初頭のものとされる層がむき出しになっています。モーツァルトが暮らしていたフロアとは異なりますが、きっと同じような柄の壁に囲まれて暮らしていたのでしょう。
また、私たち入館者が使う階段も、約250年前の施工当時のものです。モーツァルト本人が上り下りしたかもしれない、と想像しながら次のフロアに向かうのも、楽しいかもしれません。
モーツァルトの天才的な才能は、父レオポルド・モーツァルトによって発見されました。
父がモーツァルトの姉ナンネルへ音楽レッスンを付けていた時、モーツァルトは誰に教えられたわけでもないのに、3度の和音を弾き始めたのです。3歳にはチェンバロを弾けるようになり、5歳で作曲をしています。父は7歳の天才息子を連れ、1763年から1766年の3年間にドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、イギリス、スイスをまわり、王侯貴族などを相手に演奏会をさせました。これが、ザルツブルクでは目にする機会がなかった楽器や大規模なオーケストラなど、モーツァルトに新しい世界をいくつも見せることになりました。後に決別してしまいますが、モーツァルトの音楽人生に最も影響を与えた一人といえるでしょう。
父も1785年2月16日にこのアパートを訪ねており、ナンネルに宛てて「お前の弟は家賃480フローリンもする、家具の整った素敵な部屋に住んでいる」という手紙を送りました。また同じ手紙の中で、このアパートでヨーゼフ・ハイドンに会ったことも伝えています。
1階まで降りてくると、いよいよこの博物館最大の目玉、モーツァルト一家が実際に暮らしていたフロアです。面積は約177平方メートルあり、部屋が4つ、小部屋が2つ、キッチンを備え、モーツァルト、妻のコンスタンツェ、息子のカール・トーマス、愛犬ガウケルと鳥、そして使用人たちが暮らしていました。モーツァルトが生涯の暮らしたなかで、最も高価で豪華な家でした。
現在は6つの部屋それぞれの機能を紹介するとともに、モーツァルトと同時代の家具などが展示され、モーツァルト一家の生活ぶりを覗うことができます。
ギャンブル好きだったモーツァルトらしく、ゲームやビリヤード、音楽会に興じたと推測される部屋が最も大きく、モーツァルトと同時期に製作されたゲームボードや、ビリヤード台、イスなどのインテリア家具が展示されています。
またここの部屋の窓からの景色も必見です。なんと数年前に街並み自体を大改修し、モーツァルト時代の風景が再現されています。ゲームボードから眺める景色は、モーツァルトが目にしていたものと同じなのです。
モーツァルトの寝室だったと推測される1階奥の部屋は、他の部屋とは異なり、天井が豪華な大理石の彫刻になっています。これは、モーツァルトが住んでいた頃の大家の義父にあたるイタリア人宮廷スタッコ(化粧漆喰)芸術家、アルベルト・カメジーナの作品。アルベルト・カメジーナは、モーツァルト一家が引っ越してくる60年ほど前にこのアパートを購入して住んでいたのですが、そのとき自宅をショールームにして作品を壁や天井に施し、顧客に営業するのに活用していました。
モーツァルトが生きていた時代はもちろん写真機がないため、モーツァルトが本当はどのような容姿をしていたのか知る手立てはありません。モーツァルトの作業部屋だったとされる部屋の一角には、おなじみの貴公子然としたモーツァルトや、でっぷり太ったモーツァルト、35歳で死去したとは思えないほど老いたモーツァルトなど、後世の肖像画家たちが資料と想像力を駆使して描いたであろう肖像画が多数飾られています。“モーツァルトといえばあの顔”という先入観を裏切られる、楽しいコーナーです。
幼少の頃からさまざまな国や地域で音楽活動をしていたモーツァルトの才能は音楽だけにとどまらず、5か国語を扱えたといわれています。
この楽譜(レプリカ)には、モーツァルトが教え子に宛てて英語で書いた「This afternoon I am not at home, therefore I pray you to come tomorrow at three & a half(今日の午後は家にいないので、明日の3時半に来てください)」というメッセージが残っています。
モーツァルトハウス・ヴィエナは、モーツァルトという1人の人間がどんな時代に生き、どんな人々に囲まれて、どんな生活をしていたのかを知ることのできる博物館です。さまざまな展示物を見ていくうちに、天才作曲家の人間らしい部分を見い出し、親近感を覚えるでしょう。帰りには、ぜひミュージアムショップにも立ち寄ってみてください。モーツァルトハウス・ヴィエナのオリジナル商品やモーツァルトに関する書籍・CD・DVD、お菓子、雑貨など、ウィーン土産にぴったりなアイテムが揃います。
また、モーツァルトハウス・ヴィエナの地下は、ベーゼンドルファーのピアノが置かれたコンサートホールになっており、定期的に演奏会が開かれています。小規模なホールですが、その分クラシック音楽を全身で体感できます。モーツァルトが創作活動に励んだ場所にふさわしく、演奏のクオリティは折り紙付き。演奏会のスケジュールはウェブサイトまたはチケット売り場でご確認ください。
ウィーンには、モーツァルトハウス・ヴィエナ以外にもゆかりの地がたくさんあります。多くは徒歩圏内にあるので、ぜひ足を延ばしてみてください。
■シュテファン大聖堂
ウィーンの心臓部。モーツァルトが副楽長を務めた場所であり、コンスタンツェとの結婚式やモーツァルト自身の葬儀も執り行われました。
■ドイツ騎士団の館
モーツァルトが25歳の時、ザルツブルクの大司教と大喧嘩をし、大司教の側近のアルコ伯爵に蹴られたというエピソードが残る場所です。ザルツブルクで生まれ育ったモーツァルトが故郷と決別するきっかけとなりました。
■カフェ・フラウエンフーバー
モーツァルトやベートーヴェンが演奏会をおこなったレストラン。現存するウィーン最古のカフェとしても人気のスポットです。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、世界の著名な作曲家の中でも最も重要な人物の一人です。その優れた才能の裏に隠された人間像を知るために、毎年たくさんの人々がウィーンとザルツブルクを訪れます。